いつの時代も、どこの地域でも、その国の支配権をめぐった争
いというものは絶えず行われてきたもので、その積み重ねが歴
史を形成してきたと言っても過言ではない。その過去の争いの
「結果」を、我々はさも当然のことのように認識している。しかし、
我々が認識しているその「結果」を踏まえた歴史は、誰によって
形作られてきたものなのか。
やや大きく言うなれば、それは「争いの勝者たち」である。という
のも、現在研究されている古典や史書などは、争った後に勝ち残
った組織によって作られたものであり、敗れた組織によって作ら
れたそれはめったにはお目にかかれない。当たり前の話だが、
勝ち残った側は、その争いの正当性・敗れた側の非を打ち鳴らす
ことで民衆の支持を取り付け、歴史的正当性を証明する。そのた
め、不都合な資料などはもみ消すのが自然の流れともいえる。そ
のため、正しい(勿論なにをもってかは個人次第だが)
歴史を理
解するのであれば、それらの文献から脚色されていない事実の
みを情報として拾い上げて考察する必要がある。 上記を端的にまとめた歴史の鉄則として、
「勝てば官軍、負
ければ賊軍」という
故事がある。勝てば何をしようが理屈抜きに
正しくて、敗れればどんなに正当性があっても間違っているとい
うことである。この故事から著者が思うところは二点ほどある。
一点目は、情報化社会の中でいろんな情報が飛び交っている
が、鵜呑みにするのではなく、数ある情報を整理してどれが真実
(と思う)なのか、
自分で判断して情報の取捨選択を行うべきだと
いうことである。せめて、その情報の発信元がどの国のメディア
で、どの媒体かくらいは調べる癖をつけるべきである。その蓄積
が信用性のある発信元が見えてくるだろう。
二点目に、やはり
過程より結果が重要であるということである。
どんなに優れていようと、それは「勝者」でなければ意味を持た
ず、当然世間的・歴史的にも価値をもたない。最近、結果は勿
論、過程も大事だと思ったこともあったが、(結果を問う基準が曖
昧で意義が見出せなかった)それは「結果」を求めた中で生まれ
る充実感であり、悪く言えば意義を強引に作り出した妥協であ
る。つまり、取り組みの姿勢としては、貪欲に結果を求めなけれ
ばならないのである。その後に、過程の重要さを認識、満足でき
るのだと思う。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」。この故事は、いろいろ考えさせ
られる味のある故事だと思う。